2009年05月12日
水底の石の苔
現在東京新聞(中日新聞)では、五木寛之さんの「親鸞」が連載中である。これがおもしろい。毎朝新聞を読むのが楽しみだ。日付は忘れてしまったが、その連載第229回『迫りくる嵐の予感(二)』における綽空(読みは「しゃくくう」、親鸞の若い頃の名)とその後輩僧侶、良禅との会話に、苔という言葉が出てきた。久しぶりに再会した良禅に、綽空が近況を尋ねる。すると、良禅は、「水底の石に苔がつくように、あれこれ肩書がたくさんくっついて困っております。わたしは・・・」と近況を説明し始める。「水底の石の苔」。これって藻のことだろうなあ、と推察しています。水底の石にコケが生えているところをあまり見ないし。五木さんに直接聞けば分かることなんでしょうけど、お会いできるわけではないので。この表現を見てピンときたのが、「A rolling stone gathers no moss転石苔を生ぜず 」というイギリスで生れた諺。この諺は、イギリスでは、一箇所に腰を落着けていられないで、たえず商売変えをするような人間に、成功はおぼつかない。もっとはっきり言えば、そういう人間には金がたまらないという意味で使われるそうだ(外山滋比古「ことわざの論理」による)。アメリカでは、逆の意味でこの諺(言葉)が使われるそうだが、そのことはここでは触れない。
「A rolling stone gathers no moss転石苔を生ぜず 」という現象を考えよう。自然の中で石が転がることは、平野や山の陸地ではそうみられない。山では確かに落石というのがあるが、一時的に石が斜面を転がり落ちたとしてもそれはそのうちどこかに落ち着く。日常的に石が転がるという現象は、川の中でみられることである。川の中に存在する石に生える苔とは、藻のことなのではなかろうか。魚のアユが「苔を食む」の苔が藻であるように。日本では、苔という言葉がコケ植物を指す以外に、藻やコケ植物に似た植物を指すことが普通にある。英語のmossも同様である(少なくとも昔は、そうであったことがイギリスの古い文献をみれば分かる)。外山滋比古さんの「ことわざの論理」には、イギリス人、アメリカ人、そして日本人のコケ植物観と「A rolling stone gathers no moss転石苔を生ぜず 」という諺の解釈の関係性が考察されていてとても興味深い。しかし、moss苔という言葉が指すのが藻ならば、藻に対する、あるいは藻を含めた苔という漠然とした生きもの観を考える必要があろう。またしてもどうでもいい妄想を吐露する時間となってしまった・・・。恐縮です。
「A rolling stone gathers no moss転石苔を生ぜず 」という現象を考えよう。自然の中で石が転がることは、平野や山の陸地ではそうみられない。山では確かに落石というのがあるが、一時的に石が斜面を転がり落ちたとしてもそれはそのうちどこかに落ち着く。日常的に石が転がるという現象は、川の中でみられることである。川の中に存在する石に生える苔とは、藻のことなのではなかろうか。魚のアユが「苔を食む」の苔が藻であるように。日本では、苔という言葉がコケ植物を指す以外に、藻やコケ植物に似た植物を指すことが普通にある。英語のmossも同様である(少なくとも昔は、そうであったことがイギリスの古い文献をみれば分かる)。外山滋比古さんの「ことわざの論理」には、イギリス人、アメリカ人、そして日本人のコケ植物観と「A rolling stone gathers no moss転石苔を生ぜず 」という諺の解釈の関係性が考察されていてとても興味深い。しかし、moss苔という言葉が指すのが藻ならば、藻に対する、あるいは藻を含めた苔という漠然とした生きもの観を考える必要があろう。またしてもどうでもいい妄想を吐露する時間となってしまった・・・。恐縮です。
Posted by 上野健 at
15:51